今年もよろしくお願いします! 

新年、明けましておめでとうございます

本日より営業のマネジメントセンターです。

新年初日の今日は、午前中市内を周っていて、岩見沢神社へもお参りに行ってきました。

元旦の岩見沢は天気も良く、日中は初詣の方が道路側の歩道にまで列を作っていたようです。

DSC_2680 (1024x768)

今日も数名の方がお参りされていました

この岩見沢神社前の中央通りは、かつて「夕張道路」と言われていました。
※初代岩見沢駅の頃は(今の駅の位置とは違う)、ここが「駅前通り」とも言われていました。

中央通りから神社を過ぎて右折する、教育大学方向へ延びる道路が「夕張道路」の続きで、さらに、上志文〜継立〜そして、夕張へと向かう道路だったのです。

神社の横には、石碑も建っています!!

DSC_2681 (768x1024) (768x931)

「拾壱里三十二丁」と記されています。
ここから夕張へは、約45キロ‥なのでしょうね。
今までは正面しか見た事がなかったのですが、
今日は石碑の側面も見てみました。

ここにはもっと詳しく書かれてありました
「旧夕張道路」
続きを読んでみましょう

IMG_2197 (768x1024)

え〜っと‥
「明治二十二年道庁技師 坂 千太郎一行が、こゝより上志文渡場、雨煙別、桜山、継立、二岐を経て. 夕張の奥地に 至った。この時の駄馬路が岩見沢、夕張間の道路となった」と書かれてあります。

ん?

「坂…千太郎一行が…」?

せん…??

明治21年に夕張で石炭の大露頭を見つけた、ライマンの随行員としても知られるあの方の事ですよね…?!
別人の事…という訳でもなさそうな…。
(ちょっと近いけど…)

歴史的に大事なことが記されている石碑なのですが…??


モヤモヤが残ってしまいましたが、
新年営業日最初のランチは、打ち合わせをしながらの「にれの鉄板ナポリタン」

DSC_2684 (1024x768)

そして、
にれでナポリタンを食べた後の定番と言えば、
「クリームソーダ」
※昭和50年代半ばから60年代前半に、岩見沢で高校時代を過ごした、歳の違う3名の意見合致。

DSC_2685 (1024x724)

これが最強のセットです


そんなこんなで…
今年はいつもの年よりさらにさらに、いろいろな事がありそうで、今からワクワクしますが…
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます


(OLでした)

関連記事
スポンサーサイト



コメント

Re: 我路についても取り上げて頂けないでしょうか

sccさま

この度はコメントとお褒めの言葉をいただきありがとうございます。
sccさまの貴重なご意見、今後に取り入れてまいりたいと思います。

北海道へお越しの際には、ご都合がつきましたらぜひマメジメントセンターへもお立ち寄りくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
  • [2018/01/06 18:25]
  • URL |
  • NPO炭鉱の記憶推進事業団 OL
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

我路についても取り上げて頂けないでしょうか

ハンドル名で失礼致します。

大変素晴らしいHPを作成、そして公開頂きありがとうございます。
ここは、昔の炭鉱の記憶を今に伝える、大変に貴重なHPです。さらに、炭鉱を紹介する際に、ともすればとても空気の重くなってしまうような文面も、スタッフのカニさん(=神さん)のとても明るい文章にとても助けられます。

私は、炭鉱街の発展から衰退そしてその後の状況、また、その時そこに暮らしていた人の生業に興味があり、関東、東北の現地についていろいろと訪ね歩いておりました。
北海道についてもいつかは!、と思ってはいるのですが何せ遠方なので、なかなか足が向きません。が行った際には、そらち炭鉱の記憶マネジメントセンターに伺わせて頂きたいですね。

最後になりますが、我路についても現役の時の写真等、当時の方のインタビューを交え何回か取り上げて頂けないでしょうか。いくつものマンションがあった、あの巨大な生活圏が、今では全くの野原となった様は驚愕です。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
https://yamasoratan.blog.fc2.com/tb.php/2658-da676bc4