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⑨炭鉄港の【鉄道】岩見沢操車場跡

かつては鉄道のまちと言われ栄えてきた岩見沢。

現在の駅の西側に広大な敷地の操車場があった事は、今でもJRに乗って付近を通ると想像できると思います…!!

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※昭和40年代後半頃の周辺地図


岩見沢は函館本線と室蘭本線、幌内線、万字線の中継地であり、小樽・室蘭などの地域への石炭輸送、石狩・十勝・北見の各地域に集散する貨物輸送の要衝をなしていましたが、貨車入れ替え作業の行き詰まりをきたしていたため、
大正11年に駅の西部方面を拡張し、仕訳線群を駅本屋側と西部の操車場側に分け、大正15年に5線群からなる操車場の使用を開始しました。

岩見沢では周辺の炭鉱からの石炭を積んだ着発貨車が増加し、特に函館本線の輸送量が大幅に増大し…
操車場構内は狭くなり、昭和2年には更に拡張しました。

その後も貨車が増え、更に大改良工事が必要となって、
着発線、仕訳線、受渡線、除雪線、給水線など、計28本を設け、昭和32年に竣工しました。

その後も更に仕訳線を増設するなど工事を行い、東北以北最大の操車場と言われるまでになったのです

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※岩見沢駅80年史より

ちなみに、現在残っているのは右側の赤くした線路の函館本線、青(一部付け替え)の室蘭本線だけです。
ホントに広い敷地だったのですね…


写真00288 (800x580)
※S40年代岩見沢機関区
操車場の他にも第一機関区や第二機関区もあったり、駅周辺は機関車や貨車や大勢の国鉄マンで、常に現場感が凄かったのだと思います

昭和49年岩見沢 (800x533)
※S40年代岩見沢駅に入ってくる機関車


次にJRに乗る時、ぜひ岩見沢操車場跡地の広大さを感じてください…

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