別子銅山へひとり視察① 

10/10、11、今治市で日本遺産フェスティバルが開催されました。
その時の様子はこちらから↓↓

終了日の翌日、飛行機の時間までどこか見学に…と選んだ場所が、
今治市からJR普通列車で約1時間の新居浜市。

新居浜といえば、日本三大銅山のひとつ、別子銅山で繁栄した住友グループの企業城下町。
6年前にNPO会員旅行で4名が視察へ行った別子銅山…。
せっかく愛媛へ行ったならここは見ておくべき!!と聞いたので、、、迷わず向かいます〜


住友金属鉱山の歴史はすごい…!!
今から430年前の1590(天正18)年、京都に銅精錬所を設けた事から始まります。
その約100年後の1691(元禄4)年、住友家は別子銅山の稼行を始めました。
別子銅山はその後、日本を代表する大鉱山に発展し、住友グループの礎となったのです。

別子銅山は開坑の7年後に1521トンの銅を産出し、当時世界一の産銅国であった日本の一翼を担い、1973(昭和48)年に閉山したのです。


閉山後の別子銅山の施設を活用したのが「マイントピア別子」です。

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まずは採鉱本部の端出場地区を利用したエリア。

こちらは、レストランや土産物屋もあり、子供でも楽しめる体験ができるなど、いわゆるテーマパークの観光ゾーンです。


鉱山観光ができる見学場所までは、約400メートルの距離を鉱山観光列車に乗ります。
炭鉱でも使うような人車やカゴ車、電気気動車も連結されています。
平日のオープン直後、乗車したのは私と他1組2人のみで、ほぼ貸し切り!!
(後で若干の恐怖も…
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実際に使っていた中尾トンネルを抜けると鉄橋が…。
この打除鉄橋は別子銅山専用鉄橋としてドイツの会社が制作したもので、明治26年建設のピントラス橋だそうです。このような橋は今では国内にほとんど現存せず、左右の曲弦がズレている事などから学術研究上貴重なものだそう
観光鉄道として現在も使用しているとは…!!下を見るとちょっとコワいですが雰囲気あります!!

降りると…
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テーマパークらしく、キャラクターがお出迎え!!


そして橋の向こうには坑口が見えます。
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旧火薬庫を利用して作られた、観光用坑道です。

中はひんやり…
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鉱山概要図も興味深い!

まずは江戸時代の鉱山の様子。
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坑口の上部分には銅山の守護神がまつってありました。
カゴを背負った運搬夫(負夫)と採鉱夫(掘子)の手には、サザエの貝殻で作った明かりが…。


採鉱は主に、つちとのみなどを使い手作業で行われていました。
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地表近くで通気の良いところは薪に火をつけで砕き、鉱石を採る方法も。


たくさんのからくり人形が動いて、一生懸命に湧水を引き上げる様子の模型があったのですが…、これは見ごたえありました

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深くなるにつれ湧水も増え、昼も夜も、手作業で坑外へ汲み出す作業が行われていたそうです。


運び出された鉱石は、女性たちによって、かなづちで3㎝くらいの大きさに砕かれ、色の濃淡によって選別されたそう。
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これも気の遠くなる作業ですね…。

坑道を進むと…山神社。
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大山祇神社のお札がありました。


周辺は結構暗い…
ゆっくり見学していたので、いつの間にか、一緒に観光列車に乗って入ってきた1組が見えなくなり…。気づけばこの坑道にはひとりに…?!ちょっとした音にも急に敏感になる…💦



ドキドキしながら進み、
近代ゾーンに入ると…
巨大なジオラマや映像で、周囲が開けてました!!(良かった…)
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近代化され世界有数となった銅山の作業の様子がわかりやすく作られています。これ、実物はものすごく大きいんです!!

おぉ〜!! キャップランプの充電器
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マネジメントセンターにあるものとほぼ同じですね〜。

こ、これは…
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扉には、
このエレベーターは地下1000m行きですと表示されています。
ここにもあった!!どこかで聞いたフレーズ…。
こちらのエレベーターは乗ったらゆっくりですが床が傾いて揺れるのです。
(1000mまで降りるかどうかは…??)


このあたりは遊学パーク、体験ゾーン。
子供たちが喜びそうな仕掛けがいくつもあります
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自分でリフトに乗って動かしてみたり… 

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削岩機の振動を感じてみたり…

アスレチックな遊具もいろいろあって楽しめますよ!!


観光用坑道の外へ出ると、、
遊歩道の脇にレンガ水路を見ることができます。
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坑内水流水路の一部。ここから木製の水路に継ぎ、鉄道線路脇の坑水路で収銅所に流水して浄化処理をしたそう。
「鉱害防止努力の証言者でもある」と表記されていました。


観光鉱山列車に乗って帰る前に、売店があります。
そこには別子銅山おすすめ、有名な「いよかんソフト」があり、鉱山列車に乗ってきた人には割引あり!と書いてあります。
となると、ほとんどの人は買うでしょうね〜
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さわやかなあっさり系のソフトです!夏にぴったり。


ここで、乗車してきた鉱山列車には乗らずに、遊歩道を歩いて帰ってください!!
5分ほど進むと、これがあるのです↓↓
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「第四通洞」とプレートにあります。
1915(大正4)年に開削し、運搬系統の抜本的な整備をして鉱山の若返りを図ったという長さ4600mの坑道です。
約10キロの水平坑道によって下方に通じていて、採鉱された鉱石は他の斜坑や立坑により、この坑道に直接搬出され、端出場を経由して運ばれていたそう。

イギリス積みのレンガが重厚な雰囲気の坑口。中を覗くと明かりがいくつかついていました。しかも中から煙がでている…煙に驚き、近くにいた作業員の方に聞いて見ると「地下の坑内水の温度が高いので湯気が出てくるんですよ〜」との事。
良かった…

第四通洞に繋がっていた鉄橋がこちら↓↓
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鉱石や資材、坑内作業従事者の出入りなどが容易になり、坑内の空気流通や坑内水の排出経路も改められ、別子銅山発展の大動脈となったそうです。

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この坑口は約60年にわたって毎日約1000人の入出坑を見守ってきたそう。1973(昭和43)年の閉山まで、その役割を果たしてきてたのですね


さらにこの近くでは、シートに覆われた工事中の大きな建物が見えます。

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1921(明治45)年に完成した旧端出場水力発電所。当時としては東洋一の落差(596m)を利用して発電が行われました。これにより機械化による近代化が大きく進んだのですね。

愛媛県を代表する西洋建築のひとつですが、現在、耐震補強などの工事中で外観も残念ながら見れません。もともと内部は非公開ですが、ドイツ製の発電機や水車などが当時のままあるとか…。工事後に見れるようになるといいですよね〜!!




さぁ次は、東洋のマチュピチュと呼ばれる、東平エリアへ…

(長くなりましたのでまた後日…)



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