「炭鉄港」鹿児島の旅…3日目(最終日) 

少し時間が空いてしまいましたが…

鹿児島の旅の最終日を紹介したいと思います!



さて最終日の朝は…
ツアー参加の方が、早朝の照国神社でこんな朝日の画像が撮れた!という事で、見せていただきました。
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黄金に輝く素晴らしい朝日です!!
(3日日、金山へ行く私達のためのような…?!)
1日目、2日目は薄手のコートでは寒く、ダウンでちょうど良いくらいだったのですが、最終日は朝からいい天気に恵まれました!



さ〜、島津興業さま所有の金山へ行きます!!
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ガイドをしてくださるのは、尚古集成館松尾館長!
1日目にご案内いただき、この日もお付き合いしていただきました


鹿児島市(かごしま中央駅)から約50キロ、70分。鹿児島空港からは約25キロ、30分の場所にあります。

薩摩藩の財政を支えた「山ヶ野金山」
1640年に発見されてから1953年閉鎖まで300年余りにわたり、金を産出してきました。
※山ヶ野地区から永野地区へ鉱区が延びていき鉱山事務所が移り「永野金山」とも呼ばれるようになります。
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松尾館長のお話と、今回いただいた資料によると…宮之城の領主、島津久通が領内の穴川で砂金が採れるため、石見銀山の山師と上流を探し金鉱脈を発見したそう。「赤牛が横たわるような形の岩を見よ」という夢をみて、金鉱脈に辿り着いた…とも伝えられているそうです。

薩摩藩が金山開発を本格化させ、町ができ、人口が12000人名ほどになったそうで、一時は佐渡金山の産金量を上回り、全国で金山の名に値するものは薩摩の山ヶ野金山だけと言われるほどであったそう。


「胡麻目坑口」を見る事ができます!元炭鉱マンと石炭博物館館長がいち早く駆け寄る…!
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主に鉱石運搬の電車出入口として使われた坑口。この坑内には、金鉱脈を追って掘られた坑道がクモの巣のように繋がっていたそうです。

明治の始め頃の開発には、フランス人技師の指導で鉱山機械を輸入したり、製錬所を設置するなどして事業を進めていったのですが、産金量は低迷を続け、中断した事もあったそうです。
ですが、明治後期には82万円の予算を計上して水力発電所の建設、製錬所の新設と電化、トロッコ道の整備など大規模な近代化に着手し、作業能力が向上し産金、産銀量が大幅に増加したそうです。


坑口の上部には丸十のマークが刻まれています
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大正元年にこの胡麻目坑の前で記念写真を撮った人達がいます。
それは…西郷菊次郎!(尚古集成館所蔵の写真があります!)

西郷菊次郎と言えば…奄美大島で誕生した、西郷隆盛と愛加那の長男。
台湾宜野蘭県知事、京都市長を歴任し、明治44年に鹿児島へ帰省し、翌年、第八代の鉱業館長に就任したのです!!
写真では初めて胡麻目坑を訪れた西郷菊次郎館長を含め、8人写っています。西郷館長は西南戦争で負傷し右足が義足となったため杖を手にしています。

その109年後となる、胡麻目坑に訪れた私達も同じ場所で記念撮影
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今回の唯一の集合写真です!
(OPに参加しなかった自由行動の3名、ゴメンナサイ


こちらは、坑夫専用風呂場跡です!
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苔がいい感じに…


トロッコ道跡を進み、、
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秋葉神社へ向かいます
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金山は人家が密集しているので火の用心!で…
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明治の頃、旧手掘坑跡に秋葉神社を祀り、女子禁制の祭祀を行ってきたそう。


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ところどころ頭上注意ですが、私たちが見学に行くとの事で、歩きやすく道を整備してくれていました!ありがとうございました


竹林がすごいキレイ…!!
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ここは、西郷菊次郎が鉱業館長時代に創設された夜学校です。
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恵まれない青少年の育英に力を入れ、当時の選鉱場の校舎を充て、所謂私学校を設立され、夜間授業にして旧制中学校程度の教育が行われたそうです。


さらに進むと…
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竪坑、巻上櫓跡がありました!


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地下約100メートルの深さまで坑夫や道具を運び、鉱石を搬出するために掘られた巻上機の跡です。さらにその下には5本の坑道が掘られているそう。


その向こうには…
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火薬庫の跡。
石の壁が少し残っていますが、崩れてしまわないか心配…。


ドンドン進みます…
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見えてきたのは…
大きな、トロッコ用の切石積み橋脚!!
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坑口から製錬所の間にある川に、初めは高さ24メートルの木橋を架けていたのですが、大正3年、橋脚を石造りにして鉄橋に改造されたそう。
電車になる前は、1トンの鉄車を7〜8両連結して馬が引いていたそうです。


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当時、鹿児島県にこれ以上高い鉄橋はなかったので、見物にくる人も多かったそうです。


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何気なく歩いて渡ってきたこの橋も、アーチ状の石造り。これもいい味だしてます…

周辺は、約1時間あれば散策するにはちょうど良いコースとなっていますので、興味のある方はぜひどうぞ…!!※北海道の炭鉱跡地のような、クマの心配はありません…

たっぷり、金山跡地を見学させていただきました…。



では次に、1987年に廃線となった国鉄宮之城線の「さつま永野駅」の跡へ…
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こちらは「永野鉄道記念館」
記念館はカギがかけてありますので、中の展示物を見学したい場合は、事前に連絡が必要となります。


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ここはスイッチバックの駅だったそう。外の展示もいくつかありますので、鉄道ファンはぜひどうぞ!!


そしてまたバスで移動し…
次に向かったのは、「嘉例川駅」
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1903(明治36)年に営業を開始した駅です。
温かみのある木造の駅舎は鹿児島県内で一番古いそうで、国の有形文化財に登録されている駅です。
ドラマや時代劇にも登場しそう。無人駅ですが現役!!
開業当時は駅長の他、5、6名の駅員が常駐し貨物も取り扱っていて、多くの列車が行き交っていたそうです。


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ゴミ箱が竹で作られたしょいカゴを使っています。いいですね〜
ここにプラスチックのゴミ箱は似合いませんね


この駅にはかつて「にゃん太郎」という人気の駅長ネコがいたそうで、写真やおうち、お花がたくさん飾ってありました
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窓枠も椅子も木造で、落ち着く雰囲気いいですね…。


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タブレット閉塞器。
廃駅などに保管しているこれを見る事があり、しくみや使い方を教えてもらうのですが…なかなか難しい…


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机の引き手が懐かしい!今ではアンティークな家具として人気がありそうですね。



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歴史ある建造物を使用していくのはとても大変な事でしょうが…、
今後も活用して、残していってほしいと思います…



今回のツアーの見学場所は全て終了し、、
空港近くで昼食を済ませ、、
鹿児島空港へ…


タイトなスケジュール、時間刻みの濃〜い3日間。
あれ?もう鹿児島空港へ戻ってきちゃった。という感じが…。



帰りは羽田乗り換えの便
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ちなみに団体搭乗券の名称は「タンテツコウSPK」となっています。ステキ



新千歳空港に無事到着し、鹿児島に残った理事長に代わり、副理事長の大橋よりご挨拶。
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この3日間は、あっという間に時間が経ち、夢を見ていたかのようでした。。

こうやってブログを書いていても、うわの空…のような…


鹿児島で見て、感じてきた事を、これで完了としないで、これからどう活かすか…
それぞれの場所で、何か考えるヒントをもらったのでは…と思います!!

島津興業の皆さま、各場所での受け入れにご協力いただいた皆さま、このツアーにご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

間違いなく、記憶に残る3日間の旅でした!!




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