炭鉱で働く女性たち 

夕張市石炭博物館の、今年度の特別企画展「炭鉱の夕張」

夕張の炭鉱の変遷や特徴が分かりやすく解説されていて、このBANホールだけで1時間以上かけてご覧になる方もいます!
内容が濃〜いので、夕張の炭鉱について詳しく知りたい方にはとてもおすすめです。
夕張坂ホール1
貴重な坑内図もありますし、、
これも面白い!「北菱鹿島炭鉱の水力輸送」
採掘された石炭を、川の向こう岸へ水力で送炭していたそうなのです!
これはへぇ〜!!です。
ぜひパネル展示をご覧ください



さて…
地下展示室へ向かうエレベーターに乗車する前、すっかり有名になった「捜検のおじさん」(親しみを込めてこう呼んでます)に会う事ができます。ここがおじさんの定位置になりました。
夕張そうけんのおじさん
おじさんについては過去のブログ記事でどうぞ!


エレベーターで地下1000メートル(実際には1000メートルではありませんのでご安心ください)の世界へ降りると…

ほぼ年代順に採炭の様子などがマネキン人形で再現されています。


まずは…
手掘り採炭の先山(直接石炭を掘る人)と後山(先山が掘った石炭を集めて運び出す人)。

女性がいる〜!
先山後山
明治から大正の初め頃まではツルハシだけによる「手掘り採炭」でした。
夫婦がペアで作業する事もあり、その場合は女性が後山を担当します。確かに…暮らしを考えると同じ時間に同じ場所での共同作業は効率的ですね。


こちらにも女性のマネキン
夕張女坑夫2
石炭を運ぶ女坑夫
スラと言われる大きな箱へ運び、そこから外へ出します。
この重労働の後に、女坑夫には家で食事の支度や育児などが待っているのです。
厳しい…。。

地域や炭鉱によって違いがありますが、北海道の場合、坑内で仕事をする女坑夫は非常に少なかったそうで、坑外での選炭(石炭を選別する)の仕事が主だったようです。

これに対して筑豊や三池などの炭鉱では坑内に入る女性労働者は多かったようです。女坑夫の仕事は採炭(後山、採炭補助)、運搬(石炭を運ぶ)、支柱(坑木など運んだり坑道の整備をする)などです。


夕張女坑夫4
こちらは通気用の扉をロープを引いて開けたり、閉めたりする役目の女性。
若い女性も多かったようです。

1928(昭和3)年に坑夫労補助規則が改正され、女坑夫の深夜業と坑内での労働が禁止になり、就業制限がされました(※例外あり)



こちらの様子は…
夕張女坑夫3
坑内での照明である「安全灯」の整備や点検をしている女性たち。
真っ暗な坑内で突然灯りが消えちゃったら大変です



筑豊の炭鉱で約50年働いていて、後に多くの「炭鉱記録画」を書き、ユネスコの記憶遺産にも認定された山本作兵衛さんの絵にも女坑夫がたくさん登場します。
その中には選炭作業の様子も。
山本作兵衛
※「炭坑の語り部 山本作兵衛の世界」より

選炭は、石炭とそうではない岩石等を両手を使って選別する事です。選炭の機械が登場するまでは、石炭の大きさも分類していました。

このように少数ながらも、女性も炭鉱で大事な作業を担当する存在だったのです

夕張市石炭博物館へお越しの際には、作業様子を再現しているマネキンにもぜひご注目ください


あ!!
当NPO副理事長が、、こんな動画を配信していますよ

これ、すごく面白いです 
石炭博物館へ行く前にぜひご覧ください!!


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